「福興浜団」活動報告ブース

ここには救える命があった。

【福興浜団の活動】
東日本大震災による津波で壊滅的な被害を被った南相馬市の沿岸部にある萱浜(かいばま)・雫(くしどけ)地区。津波が去った後、捜索を始めた矢先に福島第一原発が水素爆発した。遺体捜索が打ち切られ警察も自衛隊も来ない中、上野さんは仲間と共に捜索を続け、40人以上の遺体を見付けた。この時、母と当時8歳だった長女・永吏可ちゃんの遺体も発見し、上野さん自ら安置所に運びました。しかし、父と当時3歳だった長男・倖太郎くんは現在も行方不明のままです。「自らも下を向いてはいられない。」捜索ボランティア団体「福興浜団」代表として活動しており、未だに見付からない行方不明者の捜索と共に瓦礫撤去や側溝清掃、草刈りなど、地域の再生のために現在も日々活動している。
【追悼 福興花火 ・ 菜の花迷路の開催で涙の地を笑顔の場所へ】
2011年8月には「鎮魂の花火」を企画し、138発の花火を打上げ、同年12月より本部のある敷地内に「天国へのメッセージ」としてイルミネーションを作成した。その後も「追悼 福興花火」として毎年花火を開催されている。
また、多くの人が津波で亡くなったこの地を、涙、涙、泣き顔ばっかりだったところを笑顔の場所にしたい。今を生きる子供たちには笑顔になって、安心してもらいたい。楽しそうな子供たちと、きれいな花を見れば、大人も自然と笑い顔になり、みんなが笑い合って、もう大丈夫だよって空を見上げれば、亡くなった人たちも天国で安心してくれると願い、想いを込めて「菜の花迷路」を企画し、毎年開催している。

 

【福興浜団グッズオンラインショップ】

http://hamadan.theshop.jp/

 
【ドキュメンタリー映画「Life 生きてゆく」】
映像ディレクターの笠井千晶さんが監督として完成させたドキュメンタリー映画「Life 生きてゆく」。静岡と名古屋のテレビ局で報道記者として計15年間勤務し、現在はフリーとして活動している。
 この映画の主人公となるのが福興浜団代表の上野敬幸さん、そして大熊町で同じく津波によりご家族を亡くされ、次女が行方不明のままだった木村紀夫さんが物語の主になる。また、木村さんの次女で行方不明で捜索中だった汐凪ちゃん(当時7歳)は、震災から5年9か月後となる2016年12月9日に一部の遺骨が発見され、同月22日にDNA鑑定による結果で汐凪ちゃんと確定された。
 『伝える者として、福島県の津波とそこにいるヒトの記録を残して行きたい!福島の被災は、放射能だけじゃない。津波による被害も大きかったです。アナタはそれを覚えていますか?』 と訴えかける笠井さんはマスメディアの肩書きとは離れた立場で、個人的に映像の記録を始めた。全国各地で上映公開が始まり、2018年4月には群馬県大泉町での上映が決定されている。
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【監督の制作に込めた想い】

 

ドキュメンタリー映画「Life 生きてゆく」制作に込めた想い

監督/笠井千晶

 

 

 

 東日本大震災が起きた時、名古屋のテレビ局に勤務していた私は、テレビから流れる原発事故の映像を、ただ遠い世界のことのように見つめていました。爆発した原発の足元に、津波の犠牲者がいたという事実に、その時は全く想像が及びませんでした。その後は連日、洪水のように流れる震災の報道。私自身は、その報道を担うテレビ局の大きな組織の中で、自由な取材は許されず、福島に行く機会もなく、モヤモヤとしたまま数ヶ月が過ぎました。そして「やっぱり自分の目で確かめなくては。」と、衝動的に向かった先が南相馬市でした。

 

 以来、仕事とは全く別に、一人プライベートで通い続けた福島。私にとっては誰も知らない、縁もゆかりもなかった福島に何度も足を運ぶうち、沢山の出会いがありました。「Life 生きてゆく」の主人公、上野さんもその一人です。

 

 カメラ一つで撮影を始めてから、5年半をかけて完成した映画「Life生きてゆく」は、津波と原発事故がもたらした福島の“知られざる悲しみ”を伝えます。これは、被災した当事者の“特別な”物語ではありません。大切な誰かを想う心、家族を失う深い悲しみ、そして、あたりまえの幸せに感謝する気持ち。そんなことを想って、見ていただきたい作品です。

 

 震災後をゆっくりと、乗り越えるように歩み、前を向く上野さん一家。その姿は、私たちに問いかけます。家族とは何か、そして、生きることとはー。